11代目中島泰英

11代目中島泰英の漆芸歴とプロフィールをご紹介。

11代目漆芸職人中島泰英

一級漆器製造技能士 11代目漆芸職人中島泰英

佃生まれの漆職人

俺は昭和18年(1943年)に東京の佃で生まれた。漆芸中島の11代目だ。うちの店は徳川吉宗の頃(1716年~1745年)からの創業だから、もう350年近く続いてるわけよ。当初は日本橋で営んでいたが、戦後に佃に移ってきた。

江戸時代に、徳川家康が隅田川にできた自然の寄せ洲を利用して、大阪から漁師を呼び寄せ、漁師町を作ったのが佃の始まりだ。元々は漁師の町だった佃も最近では高層ビルが建つようになり、昔の面影と新しいところが混ざってる。でも俺はここで生まれ育って、ここで漆職人やるのが当たり前だと思ってる。新しく引っ越してきた人が店に寄って、一目見て「いいねぇ」って買ってってくれることもある。目の肥えたお客さんと直接話して、いい材料でいいものを作れるのは幸せだな。

江戸漆器ってのは、江戸時代に将軍や大名たちに愛された漆器で、のちに庶民のあいだにも普及した。東京にもかつて数多くの漆職人がいたんだ。輪島や会津などが作業行程を分業化しているのに対し、江戸漆器は初めから終わりまで同じ職人がすべての作業を行なうのが特長だ。江戸時代には大名家の嫁入り道具なども手がけていたが、現在では茶托(ちゃたく)、銘々皿、茶入れ、鏡台、手鏡、かんざしや香合など、さまざまなものを制作している。

俺が子供の頃は、うちは職人が10人くらいいて、小僧も入れれば20人くらいはいたんじゃないかな。10代目にあたる親父が漆器をつくっている様子に接し育った。ところが戦争があり商いは縮小した。うちの親父は婿養子だったんだ。なんでも漆芸中島の弟子のなかで最も腕のいい職人がうちの親父だったんだよ。3〜4人はいた兄弟子を押しのけて婿養子の座を射止めたんだからなかなかなものだろ。

中学校を卒業してすぐに築地の山形屋という漆器問屋に丁稚奉公に出されたんだ。山形屋のおやじは渡り職人っていって、輪島から何から有名な産地を全部渡って職人になった人でね。だいたい25歳くらいで東京にもどって築地で商売を始めたんじゃないかな。

通常、職人の世界では「見て技を盗め」とよく言われるものだが、山形屋のおやじはいろんなこと教えてくれたなぁ。おやじ自身は漆塗りの産地を巡りながら、それこそ職人の技を盗むように覚えていった。兄弟子にお茶を持っていく振りをして手もとを観察し、それが相手にばれて刃物が飛んでくるなんてことが日常茶飯事だったらしい。しかし築地で自分の商いを始めると自分のところの職人たちに聞けば惜しみなく教えてくれた。

おれはほとんど最後の小僧じゃねぇかな。労せずして技を身につけていった。技は見て盗めといわれた時代に親方は1から10まで丁寧に教えてくれたんだ。山形屋の親方の下で2年ほど修行を積み、その後、18歳で父の店を手伝うようになったんだ。かくいうおれも一級漆器製造技能士の試験で満点をとった。おれが知るかぎり、満点をとったのはおれひとりだったよ。

11代目漆芸職人中島泰英

漆塗りについて説明する中島泰英

江戸八角箸の誕生

時代によって作るものも変わってくるもんだ。昔は嫁入り道具や床の間、床柱といった調度品を扱ったし、お寿司屋さんの付け台を作ってた時期もあった。でもな、気づいたらそういうものがみんな違うもので代わっちまった。住宅からは床の間はなくなるし、寿司屋の台もベイクライトに変わっちまった。

そういうわけで、俺らもやること変えなきゃいけなくて、50年か60年前から箸を作るようになったんだ。親父の頃だな。「箸を作ろうか」って話になって。材料の木はたくさんあったからな。最初は箸なんて全然売れなかったぞ。それでデパートの職人展に出るようになった。デパートにはいいお客さんが来るからな。そこで気に入ってくれた人が、また別のお客さんを連れてきてくれる。そうやって少しずつ売れるようになった。

地方のデパートで展示会があると、俺は夜にその地元のいい飲食店に客として行くんだ。安い店じゃなくてちゃんとしたとこ。金持ちもそういうとこに来るからな。店主が「この人、今デパートで展示してる人なんだ」って紹介してくれる。そうすると翌日にそいつらが買いに来てくれるんだ。こうやって工夫して商売してきたんだよ。

俺は自分で作った箸を全部使ってる。地方に行くときも自分の箸を持って行って、飲食店でも使う。目のいい人はすぐに気づいて「その箸、何ですか?」って聞いてくる。滅多にないけどな。でも時々売れることもある。使った人が「これを親にあげたい」とか言い出すんだ。そういう人がまた口コミで広めてくれて、信用が出来ていった。

八角形の箸を思いついたのは象牙の箸がヒントだった。象牙の箸って昔から金持ちが使ってたけど、つるつる滑るんだ。だから角を立てて八角形にしてた。それを木でもやってみようと思ったら、うまくいったんだ。こんにゃくやイカの刺身がこんなにもかんたんにつまめる箸はそうそうないだろ。

俺の作る江戸八角箸の良さは、黒檀や紫檀、紅木紫檀、鉄刀木(タガヤサン)、ビリアンローズといった貴重な木材を使ってるところだ。これらの木は成長がめちゃくちゃ遅いし、木目が複雑で、堅くて重い。だから堅木って呼ばれてる。昔は仏壇や家具に使われてたけど、今じゃほとんどワシントン条約で取引禁止されちまった。

うちがまだこういう木を使えるのは、じいさんやそのまた親父の代から木を買い貯めてきたからだ。東南アジアの木だけど、希少だからって乱獲されちゃって激減してる。たまに市場に出回る紫檀とかあるけど、乾燥させずに生木を板材にしちゃってるから、製品にするとすぐ反ったり歪んだりして使い物にならん。箸なんて特に致命的だよ。うちは取引禁止になる前から材料を持ってるから、今でも紫檀・黒檀の箸を作れるんだ。

11代目漆職人中島泰英

賞受賞の漆器たちと中島泰英

商いと職人の矜持

箸の作り方?まず木材を切って薄い斜め板にする。それを箸の幅に切るんだけど、面白いのは内側が黒くて外側が白いツートン模様になってるところ。箸として使えるのは年輪が詰まった中心部だけだ。

四角い棒を作って、削り台に固定して、カンナで角を削って八角にしていく。「タテカンナ」ってのを使うんだが、普通の大工のカンナと違って刃が垂直になってる。木が硬いから普通のカンナだと刃が食い込んで止まっちまうんだ。次にヤスリで箸の先を削って、「一目(ひとめ)ヤスリ」ってのでさらに磨く。最後に布で拭いて完成だ。俺の八角箸は豆やコンニャクをつまんでも滑らないぞ。今じゃもう手に入らない上等の木を使ってるのが自慢さ。

漆塗りはこうやる。まず漆をテレピン油で溶いて、毛髪で作った刷毛で馴染ませる。和紙で漆を濾してゴミを取って、きれいになったら養生して刷毛で塗る。一度塗ったら丸一日乾かす。その日はそれで終わりだ。漆器一つ仕上げるのに30以上の工程があって、塗っては乾かしの繰り返し。漆は気長に待つのも大事だな。

木を削るときは木によって反応が違うから、まるで会話してるみたいな感じになる。漆は科学塗料と違って、硬化剤なんか入れなくても勝手に水分と酸素を吸って固まっていく。生き物と付き合ってる感じがするよ。
俺は弟の昇一と二人でやってるんだが、一日中やっても15膳くらいしか作れない。手間がかかるんだよ。丸太からだと7割は捨てることになる。でも一生使うものだから妥協しないのさ。本物を謳う漆製品であっても実際はそうではないものも実際には日本各地たくさんある。商売優先とは言えそれはとても悲しいね。今ではアジアでも簡単にメイドインジャパンを謳うものも多いみたいだね。とても残念だ。

日本の職人がいい材料でいいものを作る。それが長持ちすれば、それが職人冥利に尽きるってもんだ。お客さんに「中島さん、いいもの作ってくれた」って言われるのが一番うれしいな。脱乾漆(だっかんしつ)って技法があってな、麻布と和紙を張り合わせて漆を塗るんだが、究極はそれでいいものを作りたいと思ってる。本物の漆は年々硬くなって味わいが出てくる。出来たてより百年経ったほうがいいくらいだ。そういう本物がわかるお客さんのために作りたいんだ。

中島の箸はテレビでも定期的に結構取り上げてくれていて、今じゃネットでも販売させてもらっている。佃のお店には欧米人やアジア人の来訪も増えてきたね。インバウンドの影響かな?よく買っていってくれますよ。
特にアジアの人はよく来るね。先日も台湾から来た若い男が二人「箸くれ」って言うから「いくらのがいい?」って聞いたら「一番いいやつ」って。合計20万円くらい、8膳くらい買ってったかな。
米国からの旅行者も箸やぐい呑みなどたくさんお土産に買っていってくれるね。

これまで販売した箸は無料でメンテナンスもやってる。15年使った箸を持ってきた人もいるよ。そういう人は結構いますよ。
今でも月に10膳くらいは古い箸が送られてくるよ。10年、20年使ってる箸もある。俺が生きてる限りはメンテナンスするさ。
箸の使い方?長持ちさせるなら乾燥機や洗剤、スポンジは使わないこと。水かぬるま湯で洗って、ちゃんと拭いて、たまに食用油で磨けば完璧だ。そうすれば何年でも持つよ。

でもな、この商売もいつまでも続かないよ。弟子?弟子は育っても木は育たないんだ。時々木材が出回ることもあるけど、ちゃんと乾燥してないから製品にするとすぐ歪む。木は最低でも30年は乾かさなきゃならない。そんな悠長なことは今の時代できないよ。今ある在庫が無くなったら、この商売も終わりだな。

解体した家から出た木で箸を作ってくれないかって頼まれることもあるけど、断ったよ。使える木じゃなかったからな。妥協すると自分の首を絞めることになる。人生ってのは7割か8割は運だと思うな。運が良くなきゃ、俺なんかとっくに死んでるよ。でも運だけじゃなく、やっぱりいいものを作るってことが大事なんだ。

職人の世界は道具を作る職人が減ってるのが問題だ。ヤスリの職人なんか東京にはもういないんじゃないかな。だから今のうちに買っておいたんだ。こりゃさすがに使い切れないかもしれないけどな。
これからもずっと佃で漆をやっていきたい。いい材料でいいものを作ってきた証が、この佃の店と、俺の手の中にあるんだ。

中島康英の漆芸歴

11代目漆芸職人中島康英のこれまでの漆芸歴をご紹介します。

昭和56年(1981年)

一級漆器製造技能士取得

一級漆器製造技能士

中島は実演で満点を取りました。一級漆器製造技能士の資格は、2010年に廃止されたため、現在は取得できません。

東京銘木協同組合感謝状受賞

東京銘木協同組合感謝状受賞

貴重な銘木、唐木の数々

昭和58年(1983年)

昭和59年(1984年)

日本民藝協団乾漆賞受賞

日本民藝協団乾漆賞受賞

民藝作品の優秀な作品に贈られる賞を受賞しました。乾漆とは漆を乾かして使う技法のこと。

東京都知事賞受賞

東京都の漆器など伝統工芸品

東京都には、東京都の伝統工芸品は、計42品目であり江戸切子、東京染小紋、江戸硝子、江戸指物など、多様な伝統工芸品があります。
漆器も、東京都の伝統工芸品の一部として、その価値が認められています。

昭和61年(1986年)

昭和62年(1987年)

江戸東京博物館感謝状受賞

江戸東京博物館

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東京都知事感謝状受賞

東京都知事感謝状受賞

東京都知事から感謝状を受賞しました。

平成8年(1996年)

平成9年(1997年)

優秀技能賞受賞

一級漆器製造技能士

優秀技能賞を受賞しました。

外務省海外広報課110数カ国に放送

漆芸中島世界へ放映

海外広報課経由で世界110数カ国に漆芸中島が紹介されました。

平成10年(1998年)

漆芸中島オンラインショップはこちらから

人気の江戸八角箸をはじめ茶托、銘々皿、茶入れ、鏡台、手鏡、かんざしなど本物の漆器が揃う。

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